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セシル・フィルダーのMLBでの活躍。阪神でも活躍したパワーヒッター

89年に阪神タイガースで38本塁打を打つ活躍を見せたセシル・フィルダー
三振して叩きつけたバットが指に当たって骨折というアクシデントがなければ本塁打王確実と言われた活躍。

阪神の在籍は1年だけですが、翌90年からデトロイト・タイガースで主砲として活躍。
元祖逆輸入メジャーリーガーと言える存在です。

セシル・フィルダーの打撃

90年は51本塁打、132打点、翌91年は44本塁打、133打点で二年連続二冠王。
92年は35本塁打、124打点で3年連続の打点王に輝いています。

90年の50本塁打では飛び跳ねて喜んでいるフィルダーです。
ちなみに50本塁打は77年レッズのジョージ・フォスター以来13年ぶりの快挙。
ア・リーグに至っては61年のロジャー・マリス以来という快挙です!



当時はそれくらい50本塁打が珍しい時代だったわけですね。
まあ、その後90年代はいわゆるステロイド時代に突入して50本塁打も珍しくはなくなっていくのですが・・・。

こちらは90年の1試合3本塁打。
NPBで選球眼と変化球打ちを学んだことがブレイクのきっかけと言われています。



96年シーズン途中にヤンキースへ移籍。
ポストシーズンでも活躍してワールドシリーズ制覇に貢献しています。

チャンピオンシップシリーズでダリル・ストロベリーと2者連続本塁打。

翌97年メッツとのサブウェイ・シリーズでのホームラン。
ちなみに同年からインターリーグが組まれることになり、サブウェイ・シリーズとの言葉が生まれたようです。

通算300号ホームランは誕生日に打っています!

初盗塁は96年に記録。
完全にノーマークですがそれでもギリギリ。笑
ボールを叩き落とすようなかっこうになりセーフとなりました。


セシル・フィルダーの特大ホームラン

阪神に入団する前、87年に14本塁打を打つなど期待の若手だったフィルダー。
当時からパワーはMLB屈指と言われていたようです。

こちらはフィルダーのハイライトと言える特大のホームラン!
投手はアスレチックスの大エースであるデーブ・スチュワート
スチュワートの「パリまで飛んでいったかと思った」という名言も生まれたホームランです。

翌91年の場外ホームランです!

セシル・フィルダーとプリンス・フィルダー

フィルダーを語る上で外せないのが息子のプリンス・フィルダーです。
引退後は息子の代理人も務めていたのですが、ギャンブルなどで生活が破たん。
息子の契約金に手をつけるなどして、一時は絶縁状態とされていました。

現在は関係も修復されているようですね。

父のお陰で子供の頃からMLBが身近にあったプリンス。
小学生の頃からMLBの球場でのバッティング練習で特大ホームランを打ったというのは語り草です。

日本のようなプロアマ問題がないので、子供だけじゃなくメジャーリーガーの弟だってMLBのグラウンドでプロから指導してもらうようなこともあるようです。
だからメジャーリーガーだったお父さんやお兄さんに感謝の言葉を述べる選手も多いですね。



原監督が菅野投手との関係を聞かれ「キャッチボールをしてやることもできなかった」と話していたのが印象的ですが・・・。
まあ、長嶋監督は一茂さんに指導していたようなので、こっそり教えていることも多いんでしょうけどね。笑

こちらが現役最終ホームランとなる通算319本塁打。
息子プリンスも怪我で早く引退することになりましたが、父と同じく319本塁打となっています。



いまではNPB経験のあるメジャーリーガーは珍しくありませんが、その中でも印象的なのがセシル・フィルダーです。
打撃タイトルだけでなく、球界最高年俸選手にもなっていますからねー。
当時は今よりもっと日米格差がある時代なので、日本野球を評価されるきかっけの1つにもなったかもしれません。

波田純: