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モイゼス・アルーのハイライト。親子で活躍したバートマン事件の当事者

通算2000本安打を打っているドミニカ出身の名選手モイゼス・アルー
比較的怪我が多かった選手ですね。
30歳を過ぎてから30本塁打を打った、遅咲きのスラッガーです。



父フェリペも通算2000安打、監督として1000勝を達成している大人物です。
エクスポズやジャイアンツでは監督と選手として親子一緒にプレーしていますね。

父はアルー3兄弟の長男で次男のマティ・アルーは日本でも3年間プレーしています。
ジャイアンツ時代には兄弟そろって外野を独占した試合もあることで知られます。
全員がMLBで1000安打を記録している球史に残る3兄弟ですね。

モイゼス・アルーのハイライト

90年にパイレーツでデビューしたアルー。
デビュー早々にエクスポズへ移籍、92年には父が監督となりレギュラー格の選手になっています。

92年のサヨナラグランドスラム。

94年のオールスターではサヨナラ打を打っているようです。
MVPは9回に同点ツーランを打ったフレッド・マグリフが選ばれているみたいですね。


97年はFAでマーリンズに移籍し、球団初の世界一メンバーとなっています。

DSでサヨナラ打。

CS第1戦でのタイムリーヒット。
まあ、こうして捕れなかったときの見た目が悪いから、日本ではバックハンドが指導者に好まれないんですよね・・・。

WS第1戦で2者連続ホームラン。

WS第5戦でスリーランホームラン。

引退前年には30試合連続安打を記録。
87試合で打率.341 13本塁打を打つなど最後まで打撃は衰えず、出場すれば活躍しています。


モイゼス・アルーのバートマン事件

アルーで最も有名なシーンと言えば、03年のカブス時代。
CS第6戦でのスティーブ・バートマン事件でしょう。
レフトのアルーがファールフライをキャッチしようとしたところ、カブスファンのバートマンに妨害されてしまった出来事です。

その後、カブスが崩れてしまい逆転負け。
逆転はカブスの自滅みたいなものだったのですが、このファンに責任を押し付けるような報道がされてしまった事件です。



後にアルーはバートマンを気遣う意味もあってか「どちらにしても捕れない打球だった」と話しています。
まあ、邪魔をしたのは事実だけど、確実に捕れたというわけでもないですしね。
ファールフライが飛んで来たら自分の身を守る意味でも、捕ろうとするのは仕方のない行動ですし。
ただまあ、とにかくタイミングが悪かったですね・・・。

一方でこちらは完全に妨害をして、しかもホームランと判定されてしまいました!
こちらは少年ということで批判がしにくいことや、ヤンキースやジーターのヒーロー属性もあってか、少年もヒーロー扱いだったようです。



これが日本だったら世紀の大誤審として、審判は一生叩かれたでしょうね。
名役者ジーターにとってハイライトの一部に過ぎないことも、比較的地味な印象のある出来事でした。
ちなみに怒っているライトの選手は、後に阪神でプレーするトニー・タラスコです。

アルーは続くCS7戦でも同点の場面でツーランホームランを打つ活躍を見せています。
しかし、結局はカブスの逆転負け。

バートマン事件はアルーにとっても毎日ように記者に質問され、敵地ではファンにヤジられるなど悪い思い出だったみたいです。

モイゼス・アルーのインスタ画像まとめ

それではアルーのインスタ投稿をピックアップ。

こちらが奥さん。

こちらはお孫さんかと思ったら、どうも娘さんのようですね・・・。

大きな息子も3人いるようです。
おじいちゃんが有名な3兄弟だから、変なプレッシャーも受けただろうな・・・。

こちらがお母さん。

アストロズ時代のチームメイト、クレイグ・ビジオとジェフ・バグウェル。
バグウェルは男前だったのに老けましたねー。
ビジオの方が年上だけど、そうは見えないです。



通算2134安打、332本塁打、打率も.303を残すなど選手としての実績は名選手の父を超えています。
怪我がありながらも41歳まで長くプレーしていますからね。
父のように監督をやる気はないみたいですけど、ドミニカを代表する名選手の1人です。

波田純: