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レジー・サンダースの300-300。ブレイク前のペドロと乱闘も話題に!

強打のジャーニーマンとして活躍したレジー・サンダース
問題児というわけではないんでしょうけど、故障が多く安定感もあるタイプではないので計算はしにくかったでしょうね。

かわいらしい娘さんがいるサンダースです。
まあ、写真は10年以上前なのでこの子たちも大きくなっていますが。

娘さん4人と息子さんがいるのかな。

レジー・サンダースのハイライト

91年にレッズでデビューしたサンダース。
本格デビューとなった92年からレギュラー格としてプレーしていますが、怪我が多い選手ですね。

95年のDSでのホームラン。
99年にトレードでパドレスに移籍すると、引退する07年まで毎年のように移籍を繰り返しています。

01年、 Dバックス時代にDSでホームラン。
世界一メンバーとなっています。

02年はジャイアンツの選手としてワールドシリーズでホームラン。

03年パイレーツでの1イニング2本塁打。

04、05年はカージナルスでプレーし、田口選手とは家族ぐるみの付き合いがあったようです。
日本の目薬がお気に入りだったらしく、田口選手からもっていたらしい。



サンダースのハイライトと言えば、06年のロイヤルズ時代に達成した300-300です!

5月に通算300盗塁。
ノーマークですね。

そして6月に通算300本塁打です!
動画ではわからないけど、ベースを周りながら涙を流していたようですね。
最終的に305本塁打、304盗塁を記録しています。

また、300-300の達成はウィリー・メイズ、ボンズ親子、アンドレ・ドーソンに次ぐ5人目の快挙。
凄いメンバーと名前が並んだものですね・・・。

レジー・サンダースがペドロ・マルティネスに死球をくらう

もう1つサンダースの語り継がれるハイライトに、94年ペドロ・マルティネスとの乱闘があります。

この乱闘が印象的なのは後の大投手が相手というのもあるけど、この8回の時点でペドロはパーフェクトピッチだったことにあります。
打者が怒るときというのは、故意死球かそうじゃないなら因縁がある場合です。
さすがに完全試合がかかった試合で故意死球というのは考えられませんが・・・。



当時のペドロは厳しい内角攻めで知られる投手なので、サンダースはそれに良い思いをしていなかったのかもしれませんね。
ちなみに日本だと強打者に対してブラッシュボールを投げるのは当然の投球術のように言われますが、MLBではそうではないみたいですね。

打者をのけぞらせるような内角攻めというのは喧嘩腰のニュアンスになるので、あまり投げないようです。
当時は尚更その風潮があったでしょう。
日本でもよく外国人選手が死球に怒って乱闘していたけど、それも価値観の違いがあってのことかもしれません。



サンダースは故障が多いのが残念な選手でしたね。
健康なら400-400とは言わなくとも、シーズン30-30を何度か達成していたかもしれません。
それでも39歳まで長くプレーしたんだから凄い選手ですね!

波田純: