通算755本塁打で長くMLBの通算本塁打記録を持っていたハンク・アーロン。
07年にバリー・ボンズがアーロンの記録を抜きましたが。
自身は74年にベーブ・ルースのMLB記録を抜いています。
ボンズの記録更新の際には薬物問題であれこれ言われましたが、アーロンはそれとは比較にならない騒動になっていたとされます。
こちらは70年の通算3000本安打。(通算3771安打)
当時はまだルース越えの可能性について示唆されていない時代です。
翌71年に600号を打ち、37歳にして自己最多の47本塁打。
このあたりからルース超えの可能性が示唆されはじめたようですね。
ちなみに元ベイスターズの名スカウト牛込惟浩さんは、交渉の際にアーロンが同席してくれて感激したことがあったようです。
でも一緒にいた球団の人がアーロンのことを知らなかったことに絶句したようです。笑
まあ、アーロンが来るとは思わないから気が付かないのはわからないでもないけど、知らないってのはね・・・。
当時はアーロンの知名度も今よりあったでしょうし。
野球に興味ない人が球団運営に携わっているってことでしょうから、とんでもない話ですな。
ハンク・アーロンの通算715本塁打
ホームラン王に4度なっているアーロンですが、ホームラン打者というタイプではなかったとされます。
いわゆるオールラウンダーですね。
こちらが73年の通算700号。
この頃になるとアーロンへの誹謗中傷、脅迫もかなり厳しいものになっています。
娘さんにもボディーガードが常についていたようです。
74年の開幕戦でベーブ・ルースの持つ714本塁打に並んだアーロン。
当時はまだ黒人差別がいまよりずっと酷い時代です。
アーロン自身、白人のチームメイトとは一緒に宿泊できないようなことも経験しているようです。(ホテル側が許可しない)
ルースとは言えば白人最大のスターですから、それを黒人のアーロンが抜くのは許されない空気になっていたわけですね。
こちらがルースを抜いて世界記録となった通算715本塁打。
こちらは本拠地開幕戦で打っています。
ちなみにブルペンでボールを捕ったのはトム・ハウス。
ノーラン・ライアンを指導したことでも知られていますが、バレンタイン監督と親交があることからロッテの投手陣も指導したことがある人です。
アーロンは脅迫の類よりも、メディアの過熱報道の方がストレスになったようです。
同世代のスーパースターと言えば、ウィリー・メイズやミッキー・マントルでアーロンは決して注目される存在ではなかったみたいですからね。
大勢の記者に常に注目される日々はかなり大変だったようです。
アーロンも当時のことを話すのは好きではないようです。
それくらい辛い日々だったようですね。
ハンク・アーロンのその他ハイライト
2年目の55年から引退前年の75年まで連続でオールスターに選ばれているアーロンです。
71年に初めてオールスターでホームランを打ったようですね。
毎年オールスターに選ばれるということは、それだけ安定した選手だったというわけです。
翌72年のオールスターでも本拠地のファンの前でホームランを打っています。
こちらは通算745本塁打。
キャリア初のフェンウェイ・パークでのホームランだったようです。
こちらは晩年の大きなホームラン。
ちなみに王貞治さんの最も有名なホームランは、アーロンの記録を抜いて世界記録となった756号でしょう。
2人は親交もあることで知られますが、CM共演も果たしています。
注目度で言えば王さんもアーロンと同じぐらい凄かったでしょうからねー。
祝福ムードだったであろう点はアーロンとは違いますけど。
その王さんでも記録プレッシャーでホームランが出なかった時期があるようですが、アーロンにはそれがなかったわけですからね。
開幕戦でルースに並んで本拠地開幕戦で更新というのは凄いです。
アーロンがルースを抜くと決意したのは、72年にジャッキー・ロビンソンが亡くなったときだと言われています。
黒人代表の意識があったからこそ、脅迫などにも負けずに強い気持ちでプレーできたわけですね。
本当に強い精神力です。