ノーラン・ライアンの乱闘!投球フォームが印象的な伝説の速球派投手

通算奪三振数は断トツ1位の伝説の速球派投手であるノーラン・ライアン

46歳で引退するまで速球派投手として活躍。
そのピッチングスタイルは多くの投手の憧れで、科学的なトレーニングを球界に広めた功績も大きいですね。


日本でもライアン小川こと、小川泰弘投手がノーラン・ライアンのピッチングバイブルを参考にして飛躍したことが有名です。
足を高く上げる投球フォームが印象的なノーラン・ライアンです。

ノーラン・ライアンのハイライト

66年にメッツでデビューしたライアン。
素質は高く評価されながらもノーコンに苦しんでいる時期ですね。

69年には球団史上初となるセーブを記録。

ワールドシリーズでもセーブを記録しています。

リーグ優勝の際にもマウンドに立っていたようですね。
ミラクルメッツの一員として世界一にも貢献しています。



71年にはエンジェルスへトレード移籍。
これはいまでもメッツの球団史上ワーストのトレードと言われています。

エンジェルスでブレイクし、8年間で138勝を記録するも相変わらず四球が多くて大きく勝ち越せてはいません。(121敗)
80年にはFAアストロズに移籍しています。

83年には通算3509奪三振で、史上最高投手とも言われるウォルター・ジョンソンを抜き1位に。

85年には史上初となる通算4000奪三振に到達。

81年にはキャリア5度目のノーヒッターを達成。

90年には43歳にして史上最年長ノーヒッターを達成。
エンジェルス、アストロズ、レンジャーズと3球団での達成も史上初の快挙です。

翌年に7度目のノーヒッターを達成。
44歳3ヵ月で自身の持つ最年長記録を更新しています。

最後の打者はロベルト・アロマーですが、アロマーのお父さんとはチームメイトだった関係です。
ライアンも不思議な気分だったようですね。


ノーラン・ライアンのレンジャーズ時代

晩年はレンジャーズでプレーしたライアン。
球団社長を務めた時期もあるので、レンジャーズのイメージも強い投手ですね。

晩年と言っても、2度のノーヒッターを達成していることからわかるように、まだまだ支配的な投手です。

89年にはリッキー・ヘンダーソンを相手に通算5000奪三振を記録。
42歳にして凄い速球を投げていますね。

同年はシーズン300奪三振。
翌年も43歳にして232奪三振で4年連続の奪三振王になっています。

90年には通算300勝を達成。
最終的に324勝をしています。

こちらがキャリア最後の奪三振。
5714奪三振という凄い成績を残していますね!
2位はランディ・ジョンソンの4875個、ライアン引退時だとスティーブ・カールトンの4136奪三振が2位ですから本当にダントツです。

こちらは観戦時に女の子にファールボールをプレゼントするライアン。
これお母さんもライアンに気が付いていないのかな?
女の子は大人になってからも一生自慢が出来ますね!(覚えていないだろうけど)
しかし、こうして幼い女の子でもグラブを持って観戦しているのが良いですねー。

ノーラン・ライアンの乱闘

数多いライアンのハイライトの中でも印象的なのが引退シーズンの乱闘です。
死球に怒ったらロビン・ベンチュラがライアンに向かっていくも、ヘッドロックされて殴られました。

当時すでにオールスター選手のベンチュラですが25歳の若手選手です。
この乱闘で一躍全国区となり、その後もスター選手として活躍するも、やはり乱闘のイメージが強いですね。



ライアンにしても、この激しい闘争心がファンの心をつかんだわけですね。
大投手の多くは激しい闘争心で、時に問題を起こすものです。
ライアンは気難しそうな顔をしているし、打者からも威圧感があったでしょう。笑



主要タイトルは最優秀防御率2回、奪三振王11回。
サイ・ヤング賞の受賞がないのは有名ですが、最多勝がないのは意外な印象ですな。
数字だけで言えばライアンより上の投手はいるわけですけど、数字以外のところで魅了する部分が多かったと言われる投手です。
まさに伝説の大投手ですね。

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